CGIBOY日記帳2009年6月30日(火)をもって終了させて頂きます事をお知らせいたします。とありましたので、日記帳に掲げられていた内容は、このページに記録しました

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日々是好日

2004,2,25 最近思うこと(その2、貿易易自由化と雇用不安他)
2004,2,23 最近思うこと(その1、法人と言う悪魔)
2003,9,21 報道管制
2003,9,7 自主独立と農業
2003,9,2 奈良の景色

最近思うこと(その2、貿易自由化と雇用不安他) 2004,2,25
昔は、貿易自由化は当然と思っていたが、病気をして別の観点から見るようになった。貿易自由化と言うのは法人と言う実体のないものが生きるための方法論ではないかと。貿易自由化は、欧米の企業が人件費を含む生産費用の安いところで生産したものを、生産地から輸出するための方策ではないか。そこでおきているのは最初は、農業従事者から、次にものを生産する企業、コールセンター、ソフトウェア開発、医療と言う具合に次々にさまざまな分野で人件費の高い国で生産に従事する人々と人件費の安い国の人々との間の競争、淘汰である。それにより引き起こされるのは、競争にさらされた分野の人々の賃金カット、リストラであり当該産業の空洞化、すなわち産業構造のいびつ化である。人にたとえて言うなら以上に一部分が発達した奇妙な人間である。それは、その国の安定化につながるかと言うと、特に農業面で見た場合は決してそんなことはないと思う。今でこそ日本は中国から安い食料を輸入しているが、2国間の賃金格差がなくなった場合、中国の人々は、自分達の食べ物を日本人のために輸出するだろうか。。。
最近思うこと(その1、法人と言う悪魔) 2004,2,23
最近、CSR(企業の社会的責任)と言う事がよく言われるようになってきた。
これを逆に読むと、それだけ放っておくと企業は反社会的な活動をするとも取れる。文化、生活習慣、宗教も異なる世界で、なにを満たすと企業は社会責任を果たしているとは一概には言えないが、1つ共通して言えるのは人を中心に据える企業ではないだろうか?しかし、リストラ、賃金カット、パートタイマーや契約社員の増加といった動きを見ると、企業(およびその経営者)は、法人と言う架空の人格を人間そのものより重視しているように思えてならない。まあ、経営者からは「これをしないと企業が存続ない」、「そのようにしないと企業がつぶれてしまい。もっと、悪くなる」と言う声が聞こえてきそうであるが、企業が今生産しているもので生きていく上で本当に必要なものはどのくらいあるんだろう。ほとんどの人が使いもしない多くの機能、基本機能が変わらないのにモデルチェンジを繰り返し買い替えを促す品々、一度つかったらごみにしからないものを生産する企業。
一度大雨が降るとビニールとペットボトルが大量に流れる川、電化製品などが大量に捨てられている山。
すこしたちどまって、本当に何が重要であるか、なにが必要かをじっくりと考えてみなければ。。。。
報道管制 2003,9,21
最近、病気→健康→食事→食物→農業→WTOという流れで農業やそれに大きな影響を与えるWTOの動きが気になり始めた事から、昨日、AMネットと言うNGOが主催された”輸入野菜VS京野菜〜食のグローバル化と農産物”と言うタイトルのセミナーに行ってきました。その中で、先般メキシコのカンクンで開催されたWTOにAMネットの代表として参加された方からの話で、WTO開催初日に農産物自由化に反対する韓国農民のイーさんが抗議自殺されたことをはじめて知りました。先進国の大企業主導で行われるWTOにより立ち行かなくなった韓国農業の現状について抗議し、更なる農業自由化を阻止しようとしたものです。このような事実について、また、この時期に自由化により破壊されつつある日本の農業、環境について日本のマスメディアはなぜ報道しないのでしょうか?あまりにも偏向された報道に、むかしオウム事件があったときに洗脳が話題になりましたが、私たちも知らず知らずのうちに洗脳されていると思います。こんなことを言っている私も病気になるまでは、WTOと農業について全く逆の考えをもっていましたが。。。
自主独立と農業 2003,9,7
たまたま読んだ2つの本で日本と米国で全く同じことを言っていました。自分は全くそのようにはできないですが、心に響くものがありましたので、大分長くなりますが、それらを引用してみたいと思います。

まずは、「農と食の政治経済学」(大野和興著)のP144ページ
”アメリカの伝統的な農業経営形態は家族農業経営(Family firm)である。それはまさにアメリカそのものを示す言葉であった。(中略)アメリカの家族農業について、その理念を最初に明らかにしたのはトーマス・ジェファーソンである。彼は「バージニアに関する覚書き」で次のように書いた「農民の生計は災害や買い手の気まぐれ次第である。だからこそ農民は天候に関心をよせ、自分の土地、農業というものを大切にする。モラルの低下はそれらを大切にしない人々のなかにあらわれる。」 ジェファーソンは農民の中にモラルの担い手を見つけたのである。アメリカの農業経済学者D・バリュースターはジェファーソンが理想とした農民像は「市場経済の影響から独立し、雇用関係から自由であって、自分の土地で自分の努力によって家族を養うもの」であり、三つの特質をもっている。その特質とは、「自給自足農場であって、可能な限り売ったり買ったりしない」、「土地は借地ではなく世襲所有地として所有する」、「社会の一員としては自立、自営し、自らの意思に従い経営的決定に責任を負う」ーーー云々である。”

次は、「農は万年、亀のごとし」(渡部忠世著)P.17ページに1992年に93歳で逝去された松井浄蓮さんの言葉が引用されています。
”浄蓮さんはこんな文章を書く人であった。(中略)
食うものがあって、寝る場所があって、朝から晩まで自分の時間なのである。上司の顔を窺うことも要らねば首の心配もない。当今やかましく求められている自主とか自由とか、あるいはまた安定感とかいわれるものの根本条件は、完全にこの小農の中に具備されている。それにこれは少し憚ることばであるが、税金が少なくすむというようなことから、国家権力により被搾取者の数へも入らぬし、また、自分で働いて自分で食っているのであるから何やら他を搾取する側に立つことも出来ず、最も良心的であり、人道的な存在である。
それに人間は個々に創意工夫する楽しみが要る。またこれは最近教わったものであるが、人生においては「次代送り」の喜びと言うものが大切。果樹の樹を一本植えるにしても石を家の周りや田圃のふちに置くにしても、祖先の行跡を考え、子孫の末を思い、数百年の後の夢まで見つつ工夫しているなどということは、土の上に生活の根をおくものでなけらば能わぬことである。...こうしたことで何をするにも家族の者たちが、老幼を選ばず、男女をわけず、それぞれに応じた仕事があって共に働く嬉しさがあるのは、この農の中にのみである。”

約15年前に行ったバリ島の田舎では、人々は農業に従事し、田では二毛作、三毛作ができ、家も掃き清められ、花々が飾られ、独自の文化(音楽(ガムラン)、絵画等)も豊かでした。でも、JALが直行で飛び、日本や欧米の巨大ホテル立ち並び。。。。
経済的合理性(経済と言うと聞こえがいいので、言い換えるとMoney基本主義??)と人の幸福は結びつかない。。。自分の心棒はどこに置くべきなのか。
奈良の景色 2003,9,2
最近、雨の日を除いて朝5時半ぐらいから約40分散歩しており、だんだんと秋が近づきつつあるのを感じます。せみも油蝉からツクツクボウシ、叢では虫も鳴き始め、そらを見ると高い雲が現れ始めました。以前住んでいた東京の国分寺も田舎で虫や鳥の鳴き声はよくしたんですが、奈良のいいところはまわりに丘や山が多いことです。特に散歩途中の丘の上から見える二上山は、その日の天候によって色が濃い緑色、白みがかった緑、茜色等に様々に変わったり、かすみがかかっていたりと非常に綺麗です。また、その場所からは、いい具合に悪いところ(パチンコ屋、新興住宅街、高速道路、工場、商店など)が遮られ、ふるさとの村とその後ろの丘の緑も綺麗に見えます。やっぱり、人間は自然の中で住むのがいい感じる今日この頃です。ふるさとの村の中に家をたて、そばの畑で自家菜園をつくろうと計画中です。ちょっと大げさかも知れませんが、ふるさとの自然(特に村の背後の鎮守の森)を守って行きればと思います。
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